馬場さんの話をしようと思う。
今年もすでに一ヶ月が過ぎてしまった。
1/31 と言えば、私にとっては忘れる事の出来ない日です。
東洋の巨人。
世界のジャイアント馬場さんが亡くなられた日である。
思い起こせば、馬場さんが亡くなられた1999年1月31日。この日、親しい友人と遅い新年会のような集まりを予定しており、待ち合わせ時間より早めに着いた友人と数名で、飲み会の前に時間つぶしで秋葉原駅前のゲームセンターに行く事になったのですが、そんな中、そのゲームセンターが所謂『懐ゲー(昔のゲームの事。「懐かしいゲーム」の略)』がたくさんある所で、私がチョイスしたのがセガの『APPOOOH(アッポー)』というゲームでした。セガが1984年にリリースしたゲームで、プロレスゲームの先駆け的な傑作タイトルでした。

この中に、「G・BABU」なるレスラーがいまして、これが言わずもがな馬場さんをモチーフにしたレスラーなんですが、動きが面白く、巨体を生かしたダイナミックな攻撃が得意で、学生時代はメインキャラとして使っていました(もっとも私は格ゲーが苦手で、今でも巧くありませんですが)。友人にも「この馬場さんが面白いんだよ〜」と言って見せていたりしました。
翌日、馬場さんが癌で亡くなられた事を知りました(実際に亡くなられたのは1/31で、マスコミに発表されたのは翌日2/1の事でした。正確な死因は上行結腸線癌の肝転移による肝不全)。
偶然とは言え、あまりのショックに、その日は仕事も上の空で過ごしました。
馬場さんは病気では死なないと思っていたのに・・・・
馬場さんを語る上で、個人的に記憶に残るエピソードがあります。
ある日、職場の後輩から、全日本プロレスを見に行きたい旨の誘いを受けたのですが(よく仕合を見に行く事を知っていたので、今度行く時には一緒に連れて行って欲しいと以前から言われていたのでした)、その時の彼らの言葉が
「司さん、馬場見に行きましょうよ」
だった。彼らにとって、目的は三沢でも小橋でも鶴田でもハンセンでも、何より「全日本プロレス」ですらなく、兎に角『馬場さん』なのでした。
そして、その月のある日に日本武道館まで行ったのですが、会場に着いて真っ先に彼らを連れて行った所は、外のグッズ売り場であります。
お察しの方も居られるかもしれませんが、あの時代、全日本プロレスの試合開始前のグッズ売り場には、必ず馬場さん本人がいたのです。
それを知っていたので、真っ先に彼らを売店に連れて行きました。全員が何か「神々しいものを見る目」になっていたのを、今でも覚えています。
大槻ケンジさんが「馬場さんは生き仏である」と言う話をしていたのを聞いた事があります。
その日の試合が、たとえ小橋と三沢がガチでやりあう殺伐とした試合展開になっても、川田と天龍が遺恨をぶつけ合うような危険な試合をしても、馬場さんがリングに立つと、会場にいる老若男女が、みんな笑顔になるのです。馬場さんが予てから提唱していた「明るく、楽しく、そして激しく」の「楽しい」を馬場さんは自ら実践していました。
馬場さん、あの世でドリー・ファンク・シニアとは試合しましたか? アンドレ・ザ・ジャイアントとは、まだタッグを組んでいますか? 鶴田が参戦したタイミングがあまりにも早いのにはお怒りになったのでしょうか?
私は一生あなたの笑顔を忘れません。
1/31 と言えば、私にとっては忘れる事の出来ない日です。
東洋の巨人。
世界のジャイアント馬場さんが亡くなられた日である。
思い起こせば、馬場さんが亡くなられた1999年1月31日。この日、親しい友人と遅い新年会のような集まりを予定しており、待ち合わせ時間より早めに着いた友人と数名で、飲み会の前に時間つぶしで秋葉原駅前のゲームセンターに行く事になったのですが、そんな中、そのゲームセンターが所謂『懐ゲー(昔のゲームの事。「懐かしいゲーム」の略)』がたくさんある所で、私がチョイスしたのがセガの『APPOOOH(アッポー)』というゲームでした。セガが1984年にリリースしたゲームで、プロレスゲームの先駆け的な傑作タイトルでした。

この中に、「G・BABU」なるレスラーがいまして、これが言わずもがな馬場さんをモチーフにしたレスラーなんですが、動きが面白く、巨体を生かしたダイナミックな攻撃が得意で、学生時代はメインキャラとして使っていました(もっとも私は格ゲーが苦手で、今でも巧くありませんですが)。友人にも「この馬場さんが面白いんだよ〜」と言って見せていたりしました。
翌日、馬場さんが癌で亡くなられた事を知りました(実際に亡くなられたのは1/31で、マスコミに発表されたのは翌日2/1の事でした。正確な死因は上行結腸線癌の肝転移による肝不全)。
偶然とは言え、あまりのショックに、その日は仕事も上の空で過ごしました。
馬場さんは病気では死なないと思っていたのに・・・・
馬場さんを語る上で、個人的に記憶に残るエピソードがあります。
ある日、職場の後輩から、全日本プロレスを見に行きたい旨の誘いを受けたのですが(よく仕合を見に行く事を知っていたので、今度行く時には一緒に連れて行って欲しいと以前から言われていたのでした)、その時の彼らの言葉が
「司さん、馬場見に行きましょうよ」
だった。彼らにとって、目的は三沢でも小橋でも鶴田でもハンセンでも、何より「全日本プロレス」ですらなく、兎に角『馬場さん』なのでした。
そして、その月のある日に日本武道館まで行ったのですが、会場に着いて真っ先に彼らを連れて行った所は、外のグッズ売り場であります。
お察しの方も居られるかもしれませんが、あの時代、全日本プロレスの試合開始前のグッズ売り場には、必ず馬場さん本人がいたのです。
それを知っていたので、真っ先に彼らを売店に連れて行きました。全員が何か「神々しいものを見る目」になっていたのを、今でも覚えています。
大槻ケンジさんが「馬場さんは生き仏である」と言う話をしていたのを聞いた事があります。
その日の試合が、たとえ小橋と三沢がガチでやりあう殺伐とした試合展開になっても、川田と天龍が遺恨をぶつけ合うような危険な試合をしても、馬場さんがリングに立つと、会場にいる老若男女が、みんな笑顔になるのです。馬場さんが予てから提唱していた「明るく、楽しく、そして激しく」の「楽しい」を馬場さんは自ら実践していました。
馬場さん、あの世でドリー・ファンク・シニアとは試合しましたか? アンドレ・ザ・ジャイアントとは、まだタッグを組んでいますか? 鶴田が参戦したタイミングがあまりにも早いのにはお怒りになったのでしょうか?
私は一生あなたの笑顔を忘れません。
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